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『クリムゾンアリア』

Clown Of Aria Side Story

『クリムゾンアリア/ソングアウト』
                       雪奈・長月

 想像を具現化する能力『紅の乙女』の所有者……有栖川綾。
 彼女は『紅の乙女』の能力を得る前は病弱で、体調を崩す事が多かった。
 入院する事も多く、登校出来る日も少ない。
 中学課程までは義務教育だった為、成績だけで卒業。
 しかし高校の課程からは出席日数も関わり、進学も危うくなった。
 彼女はいつも考える。もし、私がこんなに病弱でなかったら……と。
 そんな彼女が能力を得たのは必然であったのかもしれない。
 これは、彼女が強い願いによって、道化師となった時の話。



 『紅の乙女』を得る一週間前から、綾は学園の付属病院に入院していた。
 今回は軽い肺炎で、腕の良い医師のおかげで治癒。
 しかしそのせいで出席日数が足りなくなり、綾は留年となった。
 エスカレーター式だが、出席や成績に問題があると留年になるのだ。
 両親は仕方ないと慰めたが、本人は申し訳なさ感じていた。身体が弱いせいで色々と迷惑を掛けているが、せめて学園を留年する事だけはしない様にしようと彼女なりに注意をしていたからだ。
 担当医は落ち込む彼女を見かね、気分転換に散歩をする事を勧めた。
 綾は着ていた桃色のパジャマの上に若草色のケープを羽織り、担当医の言葉に従って散歩に出かける。向かう先はこの病院にある中庭。
入院患者のいる階から一階まではエレベーターで降り、中庭までは徒歩だ。
廊下で職員とすれ違う度に綾は会釈し、相手も笑顔で返す。
 普通の人ならば十分ぐらいの距離を、綾は倍の二十分かけて辿り着いた。中庭は春先の陽気で少し暖かいが、吹いている風はまだ少し冷たい。
 周囲では綾と同じ入院患者らしき子供たちが楽しそうに走り回ってる。綾はその子供たちに対して羨望に似たものを感じた。何故ならば、小さい頃から綾は外を走り回るより、中で読書をする事が多かったからだ。
 今は昔より身体が出来てきたが、まだ激しい運動は出来ない。
 だから、綾にとっては楽しそうに走り回る子供たちが羨ましかった。
 もし私の身体がこんなに弱くなかったら、人生は変わっていたのだろか。
 それはやはり、無い物ねだりというものに過ぎないのだろうか。
 そんな事を考えながら上を見上げる綾。空は吸い込まれそうなほど青い。
「きゃっ!」
 空を見上げながら歩いていたせいで、綾は何かに足を引っかけて倒れた。
「ぐえっ!」
 同時に下からも奇妙な声が聞こえた。
 少し身体をぶつけた事による鈍痛で済んだが、着地点の感触は芝生とは違っている。身体を起こした綾はちょっと驚きながらも距離をとった。
 そこにいたのは仰向けで寝ている人であった。丁度、顔に腕を乗せていて、表情が全く読み取れない。微動すらしていないが、呼吸はしている。
 この人には悪いがこのまま逃げるか、それとも謝罪の為に起きるまで待つか。どうすればいいか分からない綾は助けを求めようと、周囲を見回す。
「おい……」
 腕で顔を隠す人は明らかに怒っている様な声を上げた。
 綾は恐怖で背筋を振るわせ、小さな悲鳴を上げた。
「人様の上に倒れおって詫びも入れへんのか? ええ度胸しとんなぁ?」
 声の主は手を後ろに付いて起き上がった。声の感じからすると、女性のようだ。しかしドスの聞いた声に怯える綾は既に謝るどころの話ではない。
 目に涙を浮かべる綾に、怯えさせてしまった事に気づいた女性は笑った。
「まぁ、寝てた自分も悪いワケやけど、ここは謝っとくべきちゃう?」
 そう言って、女性は口に咥えていた物を左手でもてあそぶ。
「ごめんなさい…」
「わかったらええねん、わかったら♪」
 しおらしく謝る綾に、女性はそう言ってニヤリと笑って見せる。
 よく見ると、女性は変わった格好をしていた。
 アシンメトリーにカットされた髪はムラなく染められ、左から見ると少し短いが、右側はセミロングぐらいある。
 少し丸顔で中性的な顔立ち。少しツリ目で、目付きが悪いのは元々のようだ。何故か右目は前髪で隠され、更に眼帯までしている。
「……ありがとうございます……」
 ひとまず許して貰えた綾は頭を下げ、そして何気なく女性に訊ねた。
「こんな所で何を??」
 格好は奇抜であるのだが、どこか悪い様には見えない。
「寝てんの」
 その口から出た答えは、そのまんまであった。
 今は丁度正午過ぎ。普通の人は仕事か、昼食を取っている時間帯だ。
 こんな時間まで寝ているこの人に一体、何があったのだろうか。
「ん~」
 綾の考えが顔に出たのだろう。左手に持った煙草の様な物を吸い、一息ついてから女性は答える。
「朝っぱらから死にかけるほど扱かれたからなぁ…」
 そう言って、遠いの風景を見る女性。一体、何があったのだろうか。
 しかし知れば知るほど女性の謎は深まるばかり。
 意味が分からない綾の困った顔を見ながら女性は楽しそうに笑う。
「サンキュ♪ 多分大丈夫。無鉄砲で元気だけが取り柄な奴なんやし」
 ヘラヘラと笑いながらズボンのポケットから取り出した銀紙の包みを剥いて、かじる女性。どうやら中身は棒状のチョコのようだ。
 少し子供っぽい顔の彼女には、こっちの方が似合うと綾は思った。
「キミ、名前は?」
「えっと……有栖川……有栖川綾です」
 綾は少し戸惑っている様な口調でフルネームを名乗った。
 女性は綾の名字を噛みしめる様に呟きながら、何か考え始める。
「ん? 有栖川……有栖川……」
「有栖川工業。製造で有名な会社ですね。彼女はそこのご令嬢でしょう」
 女性と綾の間にいきなり声が割り込むが、周囲には人影一つない。軽くため息をつきながら、女性は言った。
「……レナ。しゃべるんなら、姿を現しとけ。ビビっとるやろ?」
 その言葉によって、白い髪の少女が姿を現す。
 いや、綾の目からすれば浮かび上がったと言うべきか。まるで、何もない空間からいきなりその姿がにじみ出た様な感じであったのだから。
 髪を肩の辺りまで伸ばした少女はワンピースの裾を摘み、軽く会釈する。
「はじめまして。私の名前はレナード。彼女……神威に憑いている者です」
「あっ、はい。有栖川綾です」
 挨拶を返さないといけないと思った綾も居住まいを正して頭を下げる。
 紅月神威と呼ばれた女性は二人を見ながらくすくすと笑う。
「レナとはすぐに仲よぉなりおったな。私は"紅い月"と"神の威"って書いて、紅月神威や」
「えっと……コウヅキカムイさん」
 人の名前を呼ぶのに慣れていないのか、綾の口調は少し固い。
「うん。それでええよ」
 楽しげに笑いながら頭を撫でてくる神威をじっと見ながら綾は訊ねた。
「レナードさんって……」
 言葉を濁す綾が言いたい事を悟った神威は引き継ぐ様な感じに答えた。
「幽霊っていうのも間違いやないけど、正確には、そういう道化師なんや」
「……道、化、師……ですか」
 綾は神威の口からでたその単語を噛みしめる様に繰り返した。
 それはある種の願望や望みから特殊能力を得た人を指す名前であった。
 その力から『神の化身』や『悪魔』とも呼ばれるが、『夢に踊らされる哀れな者』という意味を込めて、『道化師』と呼ばれる事が多い。
「レナ……生前は鈴那ちゅう名前やったんやけど、私は友達やったんや」
 神威は取り出した二本目のチョコをかじりながら、綾に語り始めた。
「鈴那は色々と臓器が悪くてなぁ……よく入院しとったんよ」
 まあ最終的にこの通りなんやけどな、と言って神威は無表情でチョコをかじる。思い出すのも嫌そうな神威の代わりに、レナードが綾に説明する。
「生死の境をさまようよう中で……私は死にたくないって、思ったんです。そして、私は『葬送曲』の能力を所有する道化師になったんです」
 まあ。結局は死にましたけどねと笑うレナードに、神威もあれは仕方なかったんやとチョコをくわえながら精一杯の笑い声をあげる。
 綾はそんな二人の笑顔が痛々しく見えた。確かに今もレナードという少女は神威に幽霊として憑く事で寄り添っている。
 しかし肉体は死んでいて、既に人間として存在していないのだ。
 彼女の願いは存在するという意味では叶えられているが、生きているという意味では叶えられていないというのは皮肉な物だと、綾は考えた。
 それでも、綾は願いを曲がりなりにも叶えたレナードを羨ましく感じた。
 そしてこの二人に小さい頃から胸にある想いを話してみようと思った。
「ちょっと……聞きたい事があるのですが……良いですか?」
「ん? 何ぃ?」
 神威とレナードは小さく首を傾げながら不思議そうな顔をする。
 この質問は普通の人ならば、何て馬鹿な事をと笑うであろう。
 しかしこの二人ならば、自身の望む答えを出してくれる様な気がした。
「どうやったら、道化師になれるのですか?」
 綾がその問いを言葉に出した途端、神威の表情が険しくなる。まるで、一生をかけてでも倒さなければならない宿敵に会ったかの様に。
 怒りの微粒子を感じ取った綾は背筋を振るわせた。
 溶岩の様にドロドロとした怒りが孕んだ瞳で神威は綾に訊ねた。
「……それ、本気で言うてんの?」
 神威の表情に綾は恐怖らしき物を感じたが、それに耐えながら綾は頷く。
目に涙まで浮かべながら頷く綾に、神威は深いため息を吐き出した。
「能力を妬んだり、畏怖したりするけどな……これにも制約があるんよ」
 神威はレナードを指さしながら、説明し始める。
「例えば……レナの『葬送曲』は苦しませずに人を死なせて、その魂を奪う能力や。しかしそれは、レナの存在を保つ為に必要やからや」
 今は私に取り憑いているから存在を保てるのだと神威は付け加える。
「レナは能力で得た人の魂によって現世に存在をつなぎ止めている。幽霊という形でも、存在しているのだから……生きていると言えへん?」
 綾もその言葉によって、神威が何を言いたいのか分かった。
 道化師は願いや願望によって覚醒し、常人では不可能な現象を操る。
 しかし道化師は能力行使によって生じる制約によってその身を縛られる。その制約は下手をすると他人すら犠牲にしなければならない。
 神威は綾にその覚悟があるのか試しているのだろう。
 自身の願いを叶える為に全てを犠牲に出来るのか、と。
 またもや棒状のチョコを取り出し、神威は綾を眺めながら訊ねた。
「綾ちゃんは……道化師に、なりたいんか?」
 神威の問いに綾はすぐに答える事が出来なかった。
 実はその説明によって、決意が少し揺らぎそうになってしまったからだ。
 そんな弱気な自分自身を恥じながらも、綾は力強く神威の問いに頷く。
「……はい」
 真剣な顔つきをする綾に神威はふっと笑みを浮かべる。
「良い目や。でも……」
 そこで神威は頭を掻きながら大きな笑い声を上げた。
「私もどうやったら、道化師になれるか分かんないやけどな」
「……ふぇ?」
 この人なら自身の求める答えを出してくれるだろうと思っていた神威にまさか分からないと言われるとは思わず、綾は間の抜けた声を上げた。
 明らかに拍子抜けしている綾の顔を見ながら神威は苦笑いする。
「私はあくまで、『葬送曲』の能力で幽霊になったレナに憑かれているだけやしな。どうやったら道化師になれるかはよく分かんないんや」
 そう言って、神威は再び綾の頭に手を乗せて頭を撫で始める。
 何故かレナードも綾の頭ぐらいに手を置き、撫でるかの様に手を動かす。
 この場に存在していても、あくまで幽霊という肉体という物が無い存在であるレナードは綾に触れる事は出来ない。しかし、レナードの手が触れている場所は妙に暖かく、本当に撫でられている様な感じがした。
 綾は少しくすぐったさを感じたが、悪い気はしなかった。
 頭を撫でながら神威は、綾に話を切りだした。
「これは知り合いの意見やけど……心の底から渇望する願いを持つ人の願いは力になる。狂気や妄執に見える位、純粋であればあるほど……な」
「強い願い……ですか?」
 二人の手を上目遣いで見ながら綾は神威の言葉を反復する。
 綾の頭を撫でる仕草を行いながら、レナードはその説明に補足を入れる。
「ある種の本能から来ると言うのかな……? 道化師になる人の願いはその場だけの物じゃなくて……ずっと持ち続けていた物が多いんです」
 神威は綾の頭をぽんぽんと軽く叩きながら訊ねる。
「綾ちゃんは道化師になってまで、叶えたい願いはあるん?」
「はい」
 今度は間を置かずに綾は頷いた。その声は躊躇いや迷いと言ったものは感じられず、とても固い決意に満ち溢れていている様に感じられた。
 そんな綾に一瞬だけ驚く様な表情を浮かべたのだが、すぐにそれが信念の固さなのだと分かった神威は笑みをこぼした。
「そうかぁ……頑張りや」
 道化師について周囲の評判でしか知らない普通の人ならば、その言葉は綾の考えを愚者の考えだとあざ笑う為の皮肉としてであっただろう。
 しかし、道化師となった友人と人生を共に歩いている神威の口から出た言葉だと意味が少しだけ違う。多少の皮肉は入っているかもしれないが、それは綾が不幸にならないように心配しているからであろう。
 十数分前は赤の他人であった神威とレナードが心配してくれている事に、少し嬉しくなった綾の心はほんのりと暖かくなる。
 綾の頭を撫でる動作を行い続けながらレナードは笑みを深めて言った。
「でも……もしかしたら、本当に道化師になるのかもしれませんね」
 レナードから発せられた言葉の意味がよく分からない綾は二人に頭を撫でられながら小さく首を傾げる事しか出来ない。
「そうやな」
 神威はその言葉に同意するかの様に意味深長な笑い声を漏らす。
「それは……どういう……」
 意味ですか、と綾が訊ねる前に神威が答えた。
「道化師の存在そのものが心と言うもんと密接に関わっとる。私とレナがしたこの話で綾ちゃんの心に何か影響が出ないとはかぎひんからな」
 神威の説明によって、やっと綾もその言葉には納得した。
 生物は周囲の状況によって、色々と変化していく存在である。その変化には身体面だけではなく、心のありようと言った物にも当てはまる。
 道化師と呼ばれる者たちは願いや願望といった心のありようで既存の枠を超越し、その能力を持って奇跡とも言える現象を引き起こす。
 この場合。道化師である相棒のレナードと彼女と共に歩む自身との接触によって、綾が道化師になるかもしれないと神威は言いたいのであろう。
 それに、と付け加えて神威は苦笑しながら言った。
「……何かしらの欠点みたいな物を持っている人は想いが強いからなぁ」
 その神威の笑みが綾には、自身を嘲笑っているようにも見えた。やはり生前のレナードを救えなかった事を今でも悔いているのだろうか。
「欠点って、何ですかっ! 欠点って!」
 取り憑いている神威の思考を悟ったのかそうでないのか分からないが、レナードは神威に向かって怒っている様な口調で文句を言った。
 レナードの言葉に対して、神威は不満げに口を尖らせながら返す。
「だって、レナを抱っこできひんしな~」
 どんなに手を伸ばして触れられないって不幸やない? と神威は綾に同意を求めるが、どう返せば良いか分からない綾は困惑するしかない。
 レナードに至っては、顔を真っ赤にしながら腕で身体を隠している。
 すらりとした手足とか、それなりに深い胸の谷間とか、細くて長い首筋とか、形のいい唇とか、と指を怪しく動かしながら言葉を口にする神威。
 綾とレナードは神威の怪しげな言動や動作に引かざるをえなかった。
 そんな二人を眺めながら神威は笑みを浮かべながらパイポをくわえる。
「まあ、この話はこれで終わりや……はぁ、ここは禁煙やからな……」
 溜め息をつくかの様に神威から吐き出された柑橘系の香りが混乱している綾の思考を現実に引き戻し、少しずつ気持ちを落ち着かせる。
 落ち着いた綾を見て、神威が笑みを浮かべたその時であった。
「……あ」
 神威が声を漏らしながら驚き、レナードは驚いた様な顔をする。二人共、ただ一点だけを見つめている。二人が見ているのは綾の後ろにいる何か。
 神威はただ額から汗をだらだらと垂れ流している。
 何かと思って、綾が振り向いた先に見えたのは"蒼い"女性の人影。
 綾の脇を通り、硬直している神威に近付いた"蒼"は黒い笑みを浮かべる。
「まだ、こんな所で女の子を口説ける力が残ってたんですね♪」
 神威は座りながらも器用に後退りする。しかし、"蒼"は彼女へと迫る。
「いやこれはその別に口説いているとかそんなじゃないッス……
てか現に動けないからこうやって座って……」
「問・答・無・用☆」
 "蒼"は早口で言い訳をする神威の首根っこを掴み、無理矢理立たせる。
「元はと言えば、朝からサボってた貴方が悪いんですよ?」
 吊り上げながら楽しげに笑っている"蒼"に反し、反抗する事を諦めたかの様にうなだれている神威。今の状況が全くもって理解する事が出来ない綾はレナードの隣で慌てふためく事しか出来ない。
「も、もう無理ッス…ってか苦しいんでそろそろ離して…」
 呼吸が出来ないらしく、顔を青くして"蒼"の腕を叩く神威。流石に呼吸困難になりかけているのが分かったのか、ゆっくりと地面に降ろされる
「貴方はヘタレ過ぎます。ほら、これ、ぐいっと」
 "蒼"が渡した瓶を受け取った神威はそれを一気に流し込む。
「……うぉえっ」
 間も持たずに神威は口から流し込んだ物を吐き出した。しかもそれは白くてドロリとした液体。いきなりの光景に綾はギョッとする。
 口元に白い液体を垂らしながら、神威は"蒼"に突っ込みを入れる。
「これは飲み過ぎ食べ過ぎに飲むやつじゃないですかっ! 別にそれでダウンしてるワケじゃないんですから!」
「あはは~♪ ごめんごめん、間違えちゃった~☆」
 "蒼"は全く悪びれる素振りも無く謝罪をする。むしろ、その反応を見る為にわざと胃腸薬を神威に渡したのではないのかと思えた。
「えっと、こっちだったね」
 そう言ってポケットから某炭酸栄養ドリンクを取り出す"蒼"。
「……ども」
 苦虫を潰した顔をしながら神威はそれを受け取る。
「それじゃあ、行こうか☆」
 "蒼"は爽やかな笑顔を浮かべながら神威の首根っこを掴み、病院の方へ歩いていく。勿論、神威は首をしまった状態で引きずられる様な状態でだ。
「長月さ……首……」
「さぁ、行きますよ~♪」
 呆然としている綾の脇を抜ける所で、"蒼"と目が合った。
 "蒼"は笑っているのだが、目は全く笑っていない。その笑みに対して、綾は背筋の寒気と全身から冷たい汗が吹き出る様な感じを味わった。
 "蒼"に引きずられながら神威は手を振り、笑みを浮かべながら言った。
「慰謝料はデート一回なぁ~」
「……本当に、軟派な人なんですね~。神威さんは」
 レナードは軽く頭を下げてから綾から離れ、神威と"蒼"の方へと向かう。
 後に残された綾は狐に摘まれた様な特分からない気持ちを感じながら、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。



「はい、吸ってぇ……はい。はいて下さい」
道化師の能力によって幽霊として現世に存在するレナードとその相棒である神威と出会った次の日。綾は検診を受けていた。
 十分前に肺の部分をレントゲンで撮り、今回の担当医である桂に聴診をされていた。桂に肌を見せながら身体を硬くする綾。ボタンを外し、着ていたパジャマの下から僅かに盛り上がった胸が覗く。身体が弱いせいで医者にかかる事がとても多かったのだが、やはり肌をさらすというのは凄く恥ずかしかった。外気が触れて敏感になった肌に冷たい聴診器が胸に触れ、それと同時に綾の背筋がブルリと震える。
 しかし桂は裸を見るのは慣れているらしく、表情一つ変えず、押し当てた聴診器によって呼吸音などを確かめていく。聴診器での診察を終えた桂はヘラ状の医療器具を綾の口の中に差し入れ、喉の奥を覗き込む。そしてそれを引き抜き、横のデスクにあるカルテを書きながら桂は言った。
「喉の腫れは引いていますし、肺にあったかげも無くなりましたね」
 桂の言葉によって、パジャマのボタンを留めながら話に耳を傾けていた綾の顔がぱぁっと明るくなる。医者にかかる事が多く、そのまま入院する経験も多い綾は桂の口から次に出る言葉がある程度予想出来ていた。
「じゃあ……」
「ええ、退院しても大丈夫ですよ」
 そう言って綾の方に向いた桂の顔は何故か赤面している。吐き出される息も妙に荒々しい。無理がたたり、風邪でもわずらっているのであろうか。
「先生……大丈夫ですか? 顔……赤いですが」
「風邪を引いてしまったのかもしれないね。これこそ、医者の不養生だ」
 そう言って、桂は苦笑しながら再び自身のデスクの方へと身体を向ける。綾はデスクをチラリと見ると、ポタポタと赤い物が点々と付着していた。それが一体何なのかは、綾も経験上できとんと分かっていた。
 それは動物の身体中にある液体の内で極めて重要な液体にして、全身の細胞に栄養分を運搬したりするための媒体である物―――血液であった。
「えっと、先生……本当に……大丈夫なんですか?」
「鼻の粘膜が傷ついているのだろう。昨日から、鼻血が頻発するんだ」
 心配そうに訊ねる綾に対し、桂はデスクに置いていたティッシュで鼻とそこから流れ出る血を拭いながら返した。そして、今日は万が一の事態を想定して、退院自体は明日に行うという事を綾に付け加えた。
「じゃあ、退院の準備もありますので……」
「ああ、言うのは早いかもしれないが……お大事に」
 去る前に綾は軽く頭を下げ、笑顔で返す桂の医務室を後にする。
 患者である綾がいなくなり、この部屋の主である桂だけとなった医務室。彼は赤面しながら荒い息を吐き、股を押さえて目を潤ませながら呟く。
「つ……遂に、今夜……なの、か……ぁ……」



 担当医である桂から退院の許可が下り、ある程度の片付けを終えた綾は病院の中庭へと足を運ぶ。あの二人が今日も中庭にいるような気がしたからだ。その予感が外れない事を祈りながら、綾は中庭へと向かう。
 しかし、軽い足取りで訪れた中庭にいたのは、綾が予想していなかった存在であった。一本の太い三つ編みにされた蒼の長い髪に、青空を思わせる蒼いロングコート。それは昨日、神威を引きずって行った"蒼い"人。
 綾は彼女を見た瞬間、昨日向けられたあの表情が脳裏に浮かび上がった。顔には笑みは浮かんでいるのに、目には何の感情が浮かんでいないという良く分からない笑顔。人見知りしてしまう綾からすれば、何とも言えない威圧感が漂う彼女は出来る事なら二度と会いたくない感じの人であった。
 芝生に座る彼女の視線は手に持つ文庫本に落ちている。今の内にこの場から退散しようと綾が背を向けたその時であった。背中に声が掛けられる。
「あら……君は」
 背中をビクリと震わせて恐る恐る振り向くと、さっきまで読んでいた本を閉じた彼女がじっと綾を見つめていた。昨日は気づかなかったのだが、見つめるその目も冬の湖を思わせる静かさを持った蒼色であった。
 蒼い視線に射抜かれた綾は昨日以上に気が動転してしまい、どんな反応を目の前の彼女に返せば良いか分からずに慌てふためいてしまう。"蒼い"女性は綾の慌てふためいている姿にほんの一瞬だけキョトンとした表情をしたが、くすりと笑い声を漏らした。
 ほとんど初対面の女性に笑われる事に恥ずかしさを覚えながらも、綾は目の前で今もくすくすと笑っている彼女に挨拶をする。
「……こんにちは。えっと……」
 よくよく思えば目の前にいる彼女の名前を聞いていない事に気づいた綾はどう話を展開すれば良いのかと分からずに深く考え込んでしまう。
 きっと彼女にも綾の思っている事が伝わったのであろう。柔らかな笑みを浮かべながら彼女は自身の名前とその身分を名乗った。
「ええ、こんにちは。長月と言います」
 昨日とは全く印象の違っている彼女に、綾は不思議な物を感じた。昨日は形容し難い威圧感みたいな物があったのに、今の彼女は柔らかいと言うか周囲の物事を無条件で受け入れる様な優しさらしき物を感じる。
 そんな事を考えながら綾は長月の読んでいた本に明記された題を見る。
「それは……」
「んっ? 君も『戦場のアリア』を知っているのかな?」
 笑みを深めて訊ねてきた長月に綾は小さく頷いた。彼女が今読んでいた『戦場のアリア』は綾もよく読んでいる小説の一つであったからだ。
 『戦場のアリア』はどこか壊れた魔法使いたちの姿を描いた少年向けの小説であるのだが、主人公たちだけではなく全ての登場人物に魅力のあると言う事で有名であった。綾もよく知らないのだが、登場人物一人一人に沢山のファンがいて、インターネットで色々と白熱しているらしい。
好きな登場人物っていますか、と人懐っこい笑顔で訊ねてきた長月に、綾はその小説に登場する一人の女性の名前を挙げた。
「アルフィトルテ・ツェチェリカですね」
「『紅の乙女』の二つ名を持つ魔法使いだね」
 長月もお気に入りらしく、綾の口から出た名前に笑みを浮かべる。
 その登場人物は勝手気ままで尊大な女性で、その物腰はまさしく御伽噺に出てくる姫君そのもの。その姿や立ち振る舞いからは荘厳なまでの神秘感を漂わせ、傲慢さと可憐さを感じさせながらも周囲に流されない気高さを持っている。そして、自分勝手であるかの様に見せながらも大切な人の為ならば自身の身体も犠牲にする彼女の一途さが、綾は好きであった。
 空を見上げながら長月は楽しそうに笑い声を上げ、綾の言葉に同意する。
「確かに女の子だったら、あの姿に一度は憧れてしまうよね」
 しかし二人の間には決定的な考えの相違が存在していた。長月にとって憧れの存在と言っても、あくまでアルフィトルテは小説に登場する偶像の存在としてだろう。綾にとって彼女は憧れであると同時に、もしなれるのならこうなりたいと思う人物像そのものであった。
「長月さんは何故、ここに?」
そう言って話を変える為に訊ねる綾。長月も昨会った神威と同様、何故いるのか分からないからだ。綾から見ても二人は病気や障害をわずらっているとは思えず、健康そのものだろう。勤めている会社の仕事関連で来ていると言うのも考えにくい、神威と長月の風貌からすると明らかに普通の会社で働いているようには思えない。
「ん~。ちょっと、いたいけな子に悪戯しちゃう人を捕まえるためかな?」
 そう言って笑みを浮かべる長月。しかしそれはさっきまでの人懐っこい笑みとは違い、まるで獲物を狙う狩人の様な笑み。昨日の物は背筋に寒気が走るくらい怖かったが、今の笑みも別の意味で綾の恐怖感を煽った。
 しかし長月は口を歪めながらくすくすと楽しげな笑い声を漏らし、それに怯えている綾の事など全く気にしていないかの様に話を続ける。
「退院する子を狙って、強引に摘み食いする悪い人がいてね~。病院の方から依頼を受けたんだ。実は私と紅月は探偵さんなんだよ」
 長月から漂う不気味な雰囲気による恐怖感と同時に、綾は目の前の彼女と幽霊であるレナードを連れている神威がどういう仕事をしているかを納得する事が出来た。そして、そんな彼女たちがここにいる理由も合点がついた。彼女たちは警察沙汰に出来ない問題の解決を生業にしているのだ。
 綾の行っている学園はお金持ちの子供たちが通う学校。下手に学園内でスキャンダルを起こすのは許されない事だ。それはその学園の付属病院であるここも同じ事なのだろう。本来なら探偵である彼女たちすら引き入れる事すら回避したい事なのかもしれないが、警察によって大事になるのも出来る事なら避けたいらしい。
 でも何故、秘密裏に彼女たちを呼ぶような事態になってしまっているのであろうか。病院内でそんな事をしたらならば、ばれない方がおかしいと言う事はただの学生である綾でも分かる事であった。
 その考えが顔からでも読み取れたらしく、長月は綾の疑問に答えた。
「被害者の方々はそのショックで前後の記憶が飛んでいるからね」
 この話はこれでおしまい。君もそんな胸糞の悪くなるような下らない事に関わったりしないように気をつけるんだよ、と長月はニヤリとその唇を歪めたまま笑った。どうやら、これが彼女なりの注意であったらしい。
 綾はその笑みにずっと背筋に寒気を感じながらも刻々と頷いた。
「そういえば……」
 長月がそこで何か思い出したかの様に呟き、綾の顔をじっと見つめる。
「紅月から聞いたんだけど、道化師になりたいんだって?」
「……はい」
 その問いに対して綾はすぐに頷いた。その答えに長月は笑みを崩さずにそのまま目を細め、次の質問をその口から紡ぎ出した。
「どうして、道化師になりたいのかな?」
 目を細めながら見つめてくるその蒼い長月の瞳は小細工も、誤魔化しも、はぐらかしも、全て見透かしてしまう様な深さがあるように綾は感じた。もしもそれらを用いたとしたら、きっと目の前の彼女はほとんど初対面であるにも等しい綾に対しても容赦する事はないであろう。
 私自身の持っている答えをちゃんと彼女に伝えれば大丈夫と、長月から発せられる重圧らしき物に耐えながらも自身に言い聞かせる綾。
 深く深呼吸してから、綾は長月に自身の想いを伝えた。
「昔から……私は身体が弱かったのです。それが私の悩みだったんです」「……だから、道化師になればそれを解決出来るかもしれないと?」
 長月はその目をじっと見ながら紡ぎ出された言葉を引き継ぐ様な形で訊ね返し、綾はその言葉に力強く首肯した。理由はとても稚拙であったのかもしれないが、その目にある想いはとても固い様に思えた。
「……はい」
 固い信念を感じる目と力強い肯定に長月も気持ちは生半可な物ではないという事は感じ取れたらしく、上を向きながら大きな笑い声を上げる。そして顔を戻した長月は歯を剥いて笑った。それはまるで獰猛な人喰い獣というイメージを綾に髣髴させた。
 その笑みを浮かべた状態で顔を近づけた長月は綾に問う。
「じゃあ……君は道化師について、どう思う?」
 長月の口から出た問いに綾は思いがけず悩んでしまう。ひたすら道化師になりたいと思う一心で、綾はどういう存在かと実際に考えてみるという事をしていなかったからだ。よくよく考えると、道化師と呼ばれる人はどういう存在なのか良く分からない。一つだけ言える事があるなら―――
「……悲しい……ですかね」
「悲しい?」
「はい」
 首を傾げる長月に綾はその様な答えを出した理由を説明し始める。
「道化師は願いや願望といった心にある不確定な物によってその能力を発現する。どんな事をあろうとも、その願いを持ち続けるのは素晴らしい事かもしれません。しかし―――」
「しかし?」
「道化師になりたい私も含めて、その願いや能力にすがってしか生きる事が出来ないという意味では、悲しい存在なのかもしれません」
 その説明に納得が行った長月は綾から顔を離し、顎に手を当てつつ感嘆の声をあげる。そして少し考える様な仕草を取ってから彼女は綾に言った。
「やはり、君やあの子みたいな答えを出す人は少ないものだね」
 目の前の彼女を満足させるまでの答えを出せた事に安心すると同時に、その口から出た『あの子』と呼ばれる存在に綾は少なからず興味らしき物を抱いた。その人は一体、どういう答えを長月に出したのであろうか。
 長月は空を見上げながらさっきと打って変わり、憂いらしき物がある顔で溜め息をつく。しばらく間を置いてから彼女は、『あの子』と呼ばれる存在が言ったであろう言葉を綾の前でゆっくりと呟いた。
「『道化師は勝者であり、敗者である』と言った子がいてね……彼曰く、『自身の願いを叶える道化師の姿は勝者そのものであるけど、周囲に差別や軽蔑される意味では敗者であるとも言える』……とね」
 綾は長月の口から出た『あの子』の回答に感嘆する事しか出来なかった。綾の回答は主観的で感情的な物であるが、その人の回答はとても客観的な物で冷静に物事を見据えられている。色んな意味で正反対な意見であるが、きっとその人の回答の方が客観的に見られている分、『道化師』と呼ばれる存在についての考えにおいて真意を突いているのかもしれない。
 実際にそれを彼女に語った『あの子』はどういう考えを持ったそんな人であるのか、綾は会って見てみたいと心の中でそう思った。
 顔を青空へ向けたまま長月は煙草を吸う様な感じに口元へ手を持って行き、手を空けた状態で指の隙間から深く息をする。そして手を放してから煙草の煙を吐き出す様に息を吐いてから、再び呟いた。
「人は視覚情報を優先する事が多いから、学者か何かでないと深い所まで考えない事が多いんだよ。だから、君やあの子みたいな意見も新鮮だね」
 そう呟く長月の口調はまるで、自分自身が実際に周囲から差別や軽蔑を受けている道化師であるかの様な口調であった。しかし綾が溜め息をついている彼女の姿を見てそう感じただけで、本当にそうなのかは分からない。もし長月がそうであったとしても、実際に確かめる術を持っていなかった、
「さぁ、そろそろ君は部屋に帰りなさい。風が身体に障るといけないから」
 そこでやっと長月は視線を空から綾の顔へと移す。そして自身のお尻を叩きながら芝生から立ち上がった彼女は綾に言う。
「君なら道化師になっちゃうだろうね。いや、きっと―――なるだろうね」
 病院内で紅月が看護士をナンパしていないか心配だからもう行かなくちゃ、と言って長月は綾の前から歩き去っていった。
 昨日と同じ様に綾は何とも形容する事が出来ない不可思議な感覚を覚えながらも、病院の中へと歩いていく長月を見送る。
 そして、綾の耳には彼女の言い残した言葉が残っていた。



 外は夜の帳が落ち、周囲は一寸先も見えない闇。電子機器の駆動する音が微かに聞こえ、それ以外の物音が一つもしない穏やかで静かな夜。
 綾は一人用の病室のベッドで小さな寝息を立てながら眠っていた。シーツを持ち上げている胸が微かに上下し、一定の間隔で呼吸が行われる。
 綾しかいない病室の扉がスーっ、と微かな音を立てながら開く。入って来たのは一人の男。歩調は緩慢であるが、息はとても速くて荒々しい。
 侵入に気づかずに眠っている綾の前に立った男は掛けられたシーツをゆっくりと取り、それからそのベッドに手を掛けた。微かに骨組みが軋む様な音を立てる。ベッドの上に乗った男はそのまま綾の上に覆いかぶさり、パジャマのボタンを外していく。そして薄い水色の下着が露わとなる。
 パジャマを脱がされ、身体が冷たい外気に触れる事による身体の震えでやっと綾は目を覚ました。目の前にいる男を見ながら綾は声を漏らす。
「……先生?」
 綾の目の前にいるのは今回の担当医である桂であった。気がつくと着ている上のパジャマを脱がされ、つけている水色の下着が晒されている。いきなりの事に驚く余り、悲鳴も上げられない綾に向かって桂は言った。
「君が可愛らしいから悪いんだよ」
 そう言った桂は玩具で遊ぶ子供の様に楽しそうに笑っていた。その顔はまるでこれから得物を喰らう肉食獣の様な顔で、口の端から絶え間なく唾液が流していた。そして唾液でぬめった真っ赤な舌で自身の唇を舐め回しながらギラギラとした油たぎった瞳で綾を見下ろしていた。
 そこで綾は昼間に会った長月の言葉を思い出す。病院からの依頼で長月と神威が探しているのは退院する子供たちをターゲットにして性的暴行を行う強姦魔。何故、そこで自身とその担当医も疑わなかったのだろうか。
 それに全く気づかなかったのはきっと、周囲にいる人がそんな事をするはずが無いし、そんな事あるはずないと高を括っていたからに他ならない。
 綾は舌を出しながら涎を垂らす桂に何とも言えない不快感を覚えた。自身の診察を行う時は爽やかな印象であったのに、今の彼はギラギラと油たぎった何かを感じられた。男性とはそういう生き物であるのだろうか。
 そのまま桂は片手で綾の細い腕を押さえつきながらその顎を掴み、彼女の頬をその舌でじっくりと舐め上げた。しかし綾は何も言わない。
 ただ嫌悪感に耐える様に肩を震わせ、綾はまだ自由な手でナースコールをしようとボタンへと手を伸ばすが届かない。その様子に刺激されているのか、桂は更に鼻息を荒くし、綾の足を撫で擦りながらズボンの中に手を入れようとする。本能的に綾は足を閉じようとするのだが、その貧弱で非力な身体ではそんな抵抗もほとんど無意味であった。
 昼間、体調を確かめる為の触診をする為に触れてきた桂の手が今は自身の身も心も汚してくる様な恐怖と不潔な感覚に綾は吐き気を感じた。
 強姦と言う未知の恐怖とそれに対して自身では何も出来ない悔しさに、涙と鼻水で顔をぐちょぐちょにしながらも、嗚咽混じりの声で綾は訴える。
「…こんなの……いや……いやぁ……助けて……」
 桂に襲われ、汚濁に塗れる様な気持ち悪さを感じながら綾は思った。
 ―――もし力があったら、目の前にいる男を突き飛ばせるのに。
 非力な身体でありながらも精一杯の抵抗を行いながら綾は考える。
 ―――もし病弱じゃなかったら、こういう事にならなかったのに。
 ささやかな抵抗すら目の前にいる彼を性欲的に興奮させるスパイスにしかならないという状況とそんな事しか出来ない事に綾は嫌気が差した。
 ―――もしこんな身体じゃなかったら、もう少し抵抗できるのに。
 そして、最終的に綾の思考はとある想いを抱いた。
 ―――もし/私が/道化師/だったら/こんな事に/ならないのに。
 綾がそれを強く想った時、一つの声が聞こえた。
 ―――なら、使えば良いのではないか?
「…え?」
 聞いた事もない声がいきなり割り込み、我に返る綾。視線だけを動かして周囲を見回すが、ここにいるのは組み敷かれた綾と、彼女を襲っている桂のみで第三者の存在はない。桂は荒い息を吐きながら綾の胸を掴んでいる。どうやらこの声は綾にしか聞こえていなかったらしい。
 桂に襲われるという危機的状況を受け入れたくないという気持ちから来る幻聴なのだと綾が思った時、再びその声が聞こえた。
 ―――何度も言わせるな。お前はそれを使えば良いのではないのか?
 その澄んだ声の響きからは気品という物が感じられるが、それと同時にその言動はどこまでも勝手気ままで尊大に振舞う。それはまさしく、綾が昔読んでいた御伽噺に出てくる姫君の様であった。荘厳なまでの神秘感を漂わせ、ある種の傲慢さと可憐さを感じさせながらも周囲に流される事のない気高さを持つ存在。小さい頃から綾が憧れた者が出す様な声。
 まるで綾が憧れであり、自身のなりたい人間像であるアルフィトルテ・ツェチェリカという架空の存在が実際に側にいるかのように。
 何故かその姿は目に見えないのに、綾の耳に響いて来るその声はまるで、それが出来て当たり前と言うかの様な尊大な口調で言った。
 ―――さぁ、想像しろ。お前が目の前の下賎な男を突き飛ばす場面を。
 いきなりそう言われても、身体をまさぐられている状態の綾はまともに集中出来る様な感じではない。しかし藁にもすがる様な気持ちで目の前にいる桂を突き飛ばし、この状態を打破する為にイメージを強く働かせる。
 桂が鷲掴みして揉んでくる胸がとても乱暴で痛い。綾はその苦痛に顔を歪ませ、それに耐えながらも強く想像する。まずは桂に押さえつけられる自身の腕が動く身体の方へ動くイメージ。そうでないと突き飛ばせない。
 それを強くイメージすると同時に、押さえられている腕に紅い刺青らしき物が入る。その瞬間、強い力で掴まれた上に体重を掛けられた腕から重さがふっと消える。まるで目の前の桂が存在していないかの様に。
「さぁ……君も嫌がっていないで、快楽に溺れた方が楽だよ」
 下卑た笑みを浮かべながら桂は綾の顎を掴んで自分の方へ向かせ、その唇を奪おうとする。しかし綾は必死で顔を向けて彼のキスを拒否する。非力ながらもあくまで抵抗しようとする綾の姿勢が気に障ったのか、桂は怒りを抑えるような笑みを浮かべながら身体を起こして拳を握った。
 そして、馬乗りになった状態で桂は握った拳を綾の顔を叩きつけた。
 まさか殴られるとは思わなかった綾は放心するかの様な表情で固まる。顔を殴られる時に押さえつけられた腕も開放され、その手で頬を押さえた。腕を動かす為の想像を浮かべる時に浮かんでいた腕の紅い刺青らしき物がいつの間にか消えていて、押さえつけられていた部位もズキズキとした痛みがあった。きっと押さえつけられていた時の痛みであろう。
 目に涙を浮かべながら殴られた頬を押さえる綾の顔を見ながら、桂は自己のした行為を正当化する様に文句を漏らす、
「暴れる君が悪いんだ。そうやって素直にしていれば、ちゃんと……」
 ―――お前はそれで良いのか? 有栖川綾? それで良いのか?
 桂の声と混じって、謎の女性の声も聞こえた。その声はまるで何も出来ない綾を嘲笑しているかの様であった。きっと彼女はこのままの状態でいたら綾がどういう結末を迎えるのか分かっているのだろう。
綾自身もこのままだと自身がどうなるかちゃんと分かっていた。間違いなく、この桂に自身の"始めて"を強引に奪われる事であろう。それも声を上げて泣き叫びたくなる痛みと形容しがたい喪失感と共に。きっと今の自分ではそれに耐え切れないで精神すら崩壊してしまうだろう。この先に何があるか分からない恐怖も怖いが、この先にある物に綾は怖くなった。
そこに肉体的な死はないが、精神的な死が待っているのかもしれない。そう思うと、綾は声を張り上げて泣き叫びたくなった。
病弱な身体のせいで両親や周囲に迷惑を掛けているが、綾にもやりたい事が沢山あった。健康な人たちには当たり前かもしれない事もしたかった。それを自身の性欲を満たそうとする人にその権利を奪われたくなかった。
「……ぃゃ……」
 しかし口から出たのは側にいる桂にも聞こえない位の小さな叫びであった。それでも女性には届いたらしく、こんな答えを返してきた。
 ―――なら、想像しろ。自身に都合の良い様に現実を作り変えろ。
 姿は見えなくても楽しげに笑っている事を安易に創造出来る様な響きを持った女性の言葉に従って、綾は自身の頭にある知識と経験を総動員して強くイメージする。目の前にいる桂を突き飛ばすイメージ。
 その想像に従って、綾の両腕に再び紅い刺青らしきものが浮かび上がる。
 自身に覆いかぶさる桂の胸に両手を添え、叫びと共に力を入れた。
「やめて……下さいっ!」
 綾の身体が弱いから反抗をする力なんてないだろうというのもあるが、きっと桂は彼女にそんな事をする度胸は無いと思っていたのだろう。桂は盛大に吹き飛ばされ、向こうにある壁に背中を叩きつけられた。
 彼女が反抗する力を持っていると思わなかった桂も十分に驚いただろうが、それを行った綾自身も驚いていた。彼を突き飛ばす想像によって自身のベッドから弾き出す事が出来れば最低限、ナースコールを押す隙が出来ると思って行った事でそこまで吹っ飛ばされるとは思わなかったからだ。どうやら、込める思いによってその強さも変わるらしい。
「こんの……アンマぁっ!」
 向かいの壁に背中を打ち付けられても気絶するまでには至らず、まさか襲った相手にこんな反応を反された事はないのだろう桂はその驚きで何度も瞬きしてから、その怒りを表す様に引きつった声で叫んだ。
 桂の怒声に押されながらも綾も思い出した様にナースコールのボタンを押そうとしたその時、この場に第三者の声が割り込んだ。
「やーっと見つけた変態さんっ♪」
 綾と桂は声のする方を見る。何故か窓が開いており、その桟に一人の女性が笑みを浮かべながら立っていた。それは昨日、神威を引きずりながら連れ去った"蒼い"女性の人影であり、今日の昼間に話した長月であった。
 第三者の乱入という予想だにしていなかった事に驚いている桂に長月は爽やかな笑顔を浮かべながらいかにも楽しげな声で言った。
「女の子に手を出したのが運の尽きだね。ご愁傷様……このペド野郎」
 そう言った長月は笑みを浮かべているのだが、目は全く笑っていない。その笑みに対して、桂の全身から一瞬で冷たい汗が噴き出された。
 長月は言ってから何か間違えたかのように指先を顎に当てて、何か考えるような仕草を取る。そしてポツリと呟いた。
「あれ? この台詞は少し前に使ったっけ?」
 乱入してきた長月に何かされるのは既に分かっているらしく、暴行した綾を置いて逃げよう桂。その姿には綾を襲っていた時に見せていた物は既になく、まるで天敵である捕食者から逃げる存在の様であった。
「逃がすわけないじゃ~ん。この……ク・ソ・や・ろ・うっ♪」
 長月はそのまま逃げようとする桂を逃がす気は無いらしく、桟から降りると同時に軽く勢いをつけたドロップキックを担当の背中に入れた。桂は背中に入れられた長月のドロップキックで床に倒される。
「強姦見つかって逃げれるほど、世界は甘くないよぉ☆」
 そのまま長月は床に倒した桂の背中を踵で踏みつけた。そして綾を見ながら笑みを浮かべた。
「悪いけど、ナースコール押してくれないかなぁ? これを……ね」
 長月の一言で綾は我に返り、ナースコールのボタンを押した。
「ありがとうね」
「あっ……はい」
 綾は桂によって脱がされたパジャマを着なおし、自身の両腕を見る。そこには少し前に入っていた紅い刺青はなく、普通の白い腕であった。
 さっきまで腕にあった紋様や何処からともなく聞こえてきた女性の声は何だったのであろうかと両手を何度も握っては開きながら考える綾に、強姦魔である桂を床に押さえつける長月は笑みを浮かべながら消え入りそうな小さな声で囁く様に言った。
「……ハッピーバースディ。『紅の乙女アルフィトルテ・ツェチェリカ

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